雛人形の生産量日本一のまち「岩槻」の魅力

2020年10月20日

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〇日光御成道の宿場町として栄えた城下町

人形工房ひととえは、雛人形の生産量日本一のまち「岩槻」に工房を構えています。東武鉄道の岩槻駅前には人形店の看板が立ち並び、街の至る所に人形問屋や人形工房が軒を連ねています。代々技を受け継いできた職人から、内職として家庭で長年従事する方まで、この街では現在でも約3000人が人形づくりに携わっているのです。
人形工房ひととえの雛人形たちは、この街で命を吹き込まれています。ひととえの故郷である「岩槻」について少しお話したいと思います。

岩槻の歴史が始まったのは戦国時代、岩槻城が築かれてからのことです。江戸時代、岩槻城は関東八州の北方を守る要塞として重要視され、代々徳川家の家臣である譜代大名が城主となり、この地を統治しました。江戸から東北地方や北陸地方に通じる交通の要衝でもあり、城下町はたいへん賑わっていたといいます。徳川家康の死後、遺言どおり栃木県の日光東照宮に墓所を移し家康を祀ると、将軍家による “日光社参” が度々おこなわれました。このときの参詣の道を「日光御成道(おなりみち)」といいます。岩槻は日光御成道の宿場町としても発展しました。

岩槻の人形づくりは、この日光東照宮と大きな関わりがあります。寛永年間(1634~1647年)、三代将軍家光は家康の21回忌に向けて東照宮の大改修を実施。全国から宮大工をはじめとする優れた職人たちを呼び集め、現在に至る豪華な社殿を改修・造営しました。仕事を終えた職人たちの中には、桐の産地であった岩槻周辺に住み着いた者も多く、桐箪笥などの桐製品や桐材を用いた人形をつくるようになったといいます。
一説によれば、東照宮大改修に携わった京都の仏師恵信(けいしん)が、帰途に岩槻で病に倒れ、回復した後もこの地にとどまり、桐の粉をしょうふ糊で練り固めて人形の頭をつくる方法を考案した、といわれています。現在でいう桐塑頭(とうそがしら)ですね。桐塑でつくった頭には、貝殻から取る胡粉を塗りますが、この溶解には水が必要です。岩槻周辺には元荒川と綾瀬川が流れ、水にも恵まれていました。人形づくりに欠かせない桐材と水が揃っていたこと、さらには江戸という一大市場を間近に抱えていた地の利も手伝って、岩槻の人形づくりは発展していきました。

〇江戸の雛人形ブームを支えた人形づくりの町

江戸時代は、日本のお雛さま文化が一気に花開いた時代でもあります。
寛永6年(1629年)、京都御所で盛大な雛まつりが催されると、江戸城の大奥でも雛まつりをおこなうようになりました。雛まつりに限らず、四季を愛でる行事の多くは公家社会の習慣であり、京都の宮廷文化は将軍家と宮家の婚礼などにより、江戸城大奥にもたらされたものでした。幕府が「五節句」を定めると、こうした行事は江戸の市中でも盛んにおこなわれるようになり、やがて地方の農村にまで広がっていきます。

天下泰平が続いた江戸時代の人々は、暮らしを楽しむ余裕がありました。最初は男女一対だった雛人形は、やがて従者の人形も加わり、細やかな雛道具もつくられるようになりました。お雛さま文化が広く普及した江戸後期には、桃の節句が近づくと江戸の町には雛人形や雛道具を売る雛市が至る所に立ち、移動販売の雛売りの声が町に響いたといいます。江戸時代のガイドブック『江戸名所図会』には、大賑わいをみせる日本橋十軒店(じっけんだな/現在の日本橋室町あたり)の雛市の絵が残されていますし、当時の錦絵にも裕福な家庭に飾られた豪華な雛人形がたびたび登場しています。

江戸の雛人形ブームを支えたのは、江戸近郊で人形づくりに携わる職人たちでした。岩槻はその中でも代表的な生産地として成長していきます。幕末、岩槻藩の専売品とされた雛人形は、藩の財政を潤したといいます。明治になると、農閑期に地元の雛人形職人がつくる節句人形と、士族が内職としてつくっていた人形の技術があわさり、本格な人形製造がスタート。着実に生産を拡大し、現在では雛人形生産量日本一のまちに成長しました。
現在、岩槻でつくられている代表的な人形は、「江戸木目込み人形」と「岩槻人形」です。「江戸木目込み人形」は京都でつくられた「賀茂人形」が江戸に伝わり、江戸近郊で独自の完成をみた木目込み人形。「岩槻人形」は岩槻を中心につくられる衣裳着人形の総称です。「江戸木目込み人形」は1978年に、衣裳着人形である「岩槻人形」は2007年に、経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。

〇「岩槻」の人形にちなんだ四季の行事

人形のまち「岩槻」では、人形にちなんだイベントが四季折々に催されていますので、ご紹介しましょう。

☆人形のまち岩槻 まちかど雛めぐり……2月末から3月の約1カ月間
春の訪れとともに始まるのは、「人形のまち岩槻 まちかど雛めぐり」です。商店に伝わる古いお雛さまから、現在活躍中の職人の作品まで、さまざまな雛人形が街中に展示されます。愛宕神社の拝殿に上がる27 段の階段に雛人形を飾る「大雛段飾り」や、白木綿問屋を営んでいた長谷川家に伝わる雛人形を展示する「旧家のおひな様」のほか、スタンプラリーや製作体験など、街をあげて約1カ月間にわたり開催される大イベントです。

☆岩槻流しびな……3月3日直前の日曜
3月3日直前の日曜日に、岩槻城址公園の菖蒲池で「岩槻流しびな」がおこなわれます。流し雛は雛人形のルーツとなった風習で、紙でつくった人形(ひとがた)をわらで編んだ「さん俵」に託して池に流し、無病息災を願う行事です。束帯(そくたい)や十二単(じゅうにひとえ)を身にまといお雛さまに扮した人形仮装や琴の生演奏などもあります。

☆人形のまち岩槻まつり……7月または8月の日曜日
江戸時代から城下町として栄えた岩槻の夏の一大イベントです。人形のまち岩槻ならではの人形仮装パレードは、まるで歴史絵巻のよう。ほかにも、日本三奴のひとつ「岩槻黒奴」行列や、万燈みこし、よさこい踊りなどが町を練り歩くほか、幅10m・高さ8mのジャンボ雛段が披露されるなど、催しものが盛りだくさんです。沿道には出店も立ち並び、多くの見物客で賑わいます。

☆岩槻人形供養祭……11月3日(祝)
人形のまち「岩槻」の伝統行事として、毎年11月3日の文化の日におこなわれる「人形供養祭」は全国にも知られています。古くなって飾らなくなった人形や、壊れて使わなくなった人形を持参し、岩槻城址公園内にある人形塚で供養します。黒門周辺に並べられた人形は、供養式典のあと、約20名の僧侶が読経するなか、お焚き上げをして冥福を祈ります。

ひととえの故郷である岩槻はいかがでしたか?
2020年2月22日には、日本初の人形専門公立博物館として「岩槻人形博物館」がオープンしました。近代人形産業の拠点として発展した岩槻の人形づくりを紹介するとともに、日本の人形文化を国内外に発信する拠点を担っていくことでしょう。
人形工房ひととえもこの街から、新しい時代、新しい暮らし、新しい感性にあった雛人形をご提案していきたいと考えています。工房に併設されたショールームには、カタログやホームページに掲載されているお雛さまが、ほぼ全商品展示されており、こちらも見応え十分です。街を探訪するかたわら、お立ち寄りいただけると幸いです。完全予約制をとらせていただいておりますので、ご来場の際は事前にご連絡ください。